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Chap.4-6 The Dalmasca Westersand -西ダルマスカ砂漠- [Chapter4 剣の記憶]

「ガルルッ!!」
「ヒャーンッ!!」
「よし、一丁あがり、っと!・・・次はアイツだ!」 ヴァンの後ろから、半分呆れたようなバッシュの声が飛んだ。
「テクスタは西門の左手じゃなかったのか?」
「あ、分かってるけど・・・もうちょっと狩ってから!・・・それっ!」
「キャイーンッ!!」
 テクスタ討伐を引き受けて西ダルマスカ砂漠に来たはずなのに、砂漠に出た途端、ヴァンはガスリの教えた方向などお構いなしに、目に付いたウルフやサボテンを片っ端から追い回した。
 何しろ面白いように狩れるのだ。
 地下道の蜘蛛に比べりゃ、砂漠のウルフなんてトロいもんで、お宝もサクサク盗める。・・・ま、たまにミスっても、バッシュは誰かと違って白けた野次を飛ばしてくるわけでもない。
 ヴァンが盗んだ側からバッシュの剣が一刀両断、もんどり打って砂に転がる間にも、次の獲物へヴァンは走る。群れるウルフが集まってくるほど、こっちの狩りの効率も上がるというものだ。
 ヴァンは思わずニンマリと笑った。この分だと、二人に体よくピンハネされたお宝の分も、サクッと取り返せそうだ。
 ヴァンの何とも無責任なモブハンターぶりに苦笑しながら、バッシュは縦横に駆け回るヴァンの後を追った。幸いガルテア丘陵を行く隊商の姿は見あたらないようだ。もっとも、テクスタを恐れて隊商の往来自体が滞っているのなら、いつまでもノンビリとしているわけにもいかないが。
「気をつけろ、岩山の陰には狼が群で潜んでいることがある。」
「そっちこそ、ちゃんと周りを見張っててくれよ。・・・何か変な鳴き声がするとか・・・」
「ドラゴンのことか?」
 キョロキョロと辺りを見回すヴァンに、バッシュは落ち着き払って言った。
「心配いらん。噂のドラゴンなら、このあたりには出ない。」
 そう言って、北側の狭い谷間の向うを見遣った。
「ここからずっと北に回り込んだ先に、常に砂嵐が荒れ狂って近づけない場所がある。”竜のねぐら”と呼ばれているのはそこだ。」
「・・・なんだ、ビビって損したな。」
 ボソッと本音を漏らすヴァンにバッシュは言った。
「恐ろしい魔物は他にも幾らでもいる。姿の見えない相手に思い巡らすよりも、まずは目の前の相手の強さを見極めることだ。」
「分かってるって!」
 ヴァンは短剣を片手にウルフの群に向かって再び駆けだした。

 王都ラバナスタの西に広がる西ダルマスカ砂漠は、風化して歪な茶色の巨人のような形になった岩山が林立する、砂と岩の砂漠だ。砂丘が連なる東ダルマスカ砂漠に比べると、ゴツゴツした岩山と入り組んだ崖に囲まれて、日陰は多いが見通しは効かない。物陰から襲ってくる魔物達と頻繁に起こる砂嵐のため、東ダルマスカ砂漠より危険な場所だと言われている。
 砂漠の更に西は、地平線までだ広大な砂の海が続くというエンサ大砂海が横たわることもあって、砂嵐を縫ってこの砂漠を行き来する隊商もほとんどいない。ネブラ河の流れに沿って隊商相手の集落が点々とする東ダルマスカ砂漠と違って、人々の生活の臭いもない、ただ風と砂の巻く乾ききった荒野だ。

「ハァハァ・・・ちょっと・・・一休み。」
 砂丘を囲むように左右から迫る崖がぶつかって行き止まりになった所で、ヴァンは立ち止まって息をついた。
 点々と見えるウルフの群の中には、テクスタらしい鮮やかな毛色のウルフの姿は見あたらない。どうやらガルテア丘陵を走り回っているうちにガスリの言う場所より南に下りすぎたのだろう。
 この左手の崖沿いに戻って行けば、テクスタが現れたという場所に出るに違いない。
 呼吸を整えてケアルを唱えようとしたヴァンだったが、
「・・・あれ?」
 詠唱もしないうちにヴァンの体を青白い光が包んだ。
 ヴァンはキョトンとしてバッシュの方を見た。
「なんだ、あんたもケアル使えるのか。」
「最低限の回復魔法は兵士の基本技能だ。・・・私は得手ではないが。」
 バッシュの口元が少し緩んだ。兵士の常識にまったく無頓着なヴァンの言葉が相当可笑しかったらしい。
「兵士全員がポーションを山ほど背負って戦うわけにもいくまい?」
「そりゃそうか。」
 ヴァンが笑って頭をかいた時、砂丘の下から突風が吹き付けた。
「うわっ!」
 ヴァンは吹き付ける砂塵に顔をしかめた。気がつくと、いつの間にか陽が翳って、北の空には灰色の靄のような淡い塊が現れて、岩山の連なりの向うに覆い被さるようにして延びていた。
 バッシュの目が鋭くなった。
 その表情をよそに、ヴァンは呑気に詠唱を始めた。
「んじゃ、俺もお返しに・・・」「待て!」
 突然、バッシュは鋭く声でヴァンを制した。
「なんだよ?」
 ヴァンは口を尖らせてバッシュの視線を追った。「何かいるのか?」
「まさか・・・ドラゴン?!」
 ヴァンは思わず青くなって調子っぱずれた悲鳴を上げた。
「この辺りには出ないって言ったじゃないかよ!」
 だが、彼は言った。
「・・・あるいは、もっと恐ろしい奴かもしれんな。」
「へ?」

 それは、フワフワと揺れる淡い真珠色の光の塊のように見えた。
 益々勢いを増してきた砂混じりの風の中で、人の頭ほどの大きさの光の珠は、なぜかそよ風に吹かれるようにゆっくりと、ヴァン達の目の前を漂っている。
 光の中には黒っぽい土塊のようなものが、水の中の泡のように揺れていた。
 乾いた砂と湿った土の混じったような、不思議な香りがする。
「・・・なんだ?これ。」
 ヴァンは初めて見る得体の知れない代物に、なかば口を開けて見とれていた。
「エレメント。砂嵐と共に現れる、土のエレメントだ。」
 バッシュは鋭い目で光の塊を見つめたまま答えた。
「こいつが・・・。」
 ヴァンは嘆息混じりに呟いた。
「これは特に『精霊ノーマ』と呼ばれる、上級の土のエレメントだ。」
「精霊・・・なのか?」
「さあ、詳しいことは私より、あのフランにでも聞いてみるといい。古のイヴァリースについてはヴィエラやン・モウの方がヒュムよりも知識は深い。」
 ヴァンは輝く光の珠を見つめながら頷いた。
 エレメントのことは、ダラン爺や元空賊だの冒険者だの言ってる連中からも、散々聞かされたことがある。その正体は古い古い時代に神様が遣わした精霊だとかミストの塊だとか色々言われてるみたいけど、本当に知ってる奴には会ったことがない。ただ、砂嵐や雷雨など気象が激しく変動する時などに現れて、種類も色々いて、「とにかく恐ろしい奴」なのだという。
 西ダルマスカ砂漠は東に比べて特に砂嵐になることが多いため、「エレメントには気をつけろ。」が西門を出て砂漠へ向かう者に送る挨拶代わりになっている。
 僅かに震えながら淡く輝く土のエレメント   .精霊ノーマ   .は、水の中をのんびり泳ぐ魚のように、ただゆらゆらと二人の目の前を漂っている。
 ヴァンの目には、それが言われているほど恐ろしいものには見えなかった。
「襲ってきたりしないのか?」
 すこし拍子抜けしたようにヴァンは言った。
「こちらから手を出さなければ襲ってくることはない。だが近くで魔法を感知すると、見境無く強力な魔法で攻撃してくる。」
「本当に?」
 興味津々というヴァンの表情に、バッシュは苦笑いを返した。
「試そうなどとは思わないことだ。手を出したら最後、二人がかりでも一溜まりもない。・・・ここで共倒れしても、応急処置をしてくれる者はいないからな。」
「いや・・・あれは・・・」
 ヴァンは決まり悪く鼻を擦った。バルハイム地下道で後先考えずにボムに手を出した失敗は、余り思い出したくない。・・・あの時の自分の、焼け付くほどにささくれ立った気持ちも。

 砂混じりの風が一層強くなった。巻き上がった砂塵に辺りは一層暗くなり、目の前ににょきにょきと乱立している岩山の姿すら見えなくなってきた。それと反比例するように土のエレメントの淡い光は、一層輝きを増す。
「さあ、あの崖下まで走ろう。このままではエレメントに手を出さなくとも砂嵐に溺れることになる。」
「・・・あ、うん!」
 先に立って走り出したバッシュの背を追って、ヴァンも走った。







 風化して凸凹になった岩山の風下側の少し高くなった場所に、ちょうど二人が潜り込めるぐらいの狭い洞のような窪みを見つけると、ヴァンとバッシュは急いでよじ登った。
 二人が穴蔵に体を押し込むと、それを追うようにして、北から激しい砂嵐がやってきた。
 風が巻いて吹き込んでくる砂が、ヤスリのように二人の肌を擦った。ヴァンはベルト代わりに腰に巻いていた赤い布を外すと端の方を顔に巻いて鼻と口を覆った。反対側の端を傍らのバッシュに渡すと、バッシュも同じように顔を覆った。
 二人の男が1本の赤い布で繋がってる姿は滑稽といえば滑稽だったが、今は砂を避けて呼吸を楽にすることが、何より大事だ。

 洞の外は夕闇のように暗くなった。
 二人はしばらく無言で、風と砂が囂々と岩肌を打つ音に耳を傾けていた。

「・・・変わっただろ?ラバナスタ。」
 ヴァンは口に当てた布の下から、傍らの男に言った。
「帝国兵が我が物顔に歩き回って、ダルマスカ人は負け犬みたいにペコペコしてばかりでさ。・・・作り笑いと陰口と溜息ばかりで、うんざりする。」
 ヴァンは言った。
「・・・帝国兵にチョコボ以下だと馬鹿にされても、笑って媚びるしかないんだ。」
 少年のその言葉を、バッシュは無言で聞いていた。
「それで結構     
 ヴァンは茶化すように笑って、
「生真面目に『ロザリアからダルマスカを守ろう』なんて思ってる帝国兵なんかもいたりしてさ!そんな連中と、そこそこ上手くやってたりするんだよな。」
 そう言って、腰のアサシンダガーをポンとたたいた。
「武器屋でこの短剣を俺に薦めてくれたのも、監視してた帝国兵なんだぜ。真面目にアドバイスなんかしてくれちゃってさ。・・・この剣、あいつに向けるかも知れないのに。」
 ヴァンの笑い声が、少し神経質に上ずった。「でも結局     
「帝国の連中は俺達ダルマスカ人を同等に見てるわけじゃないんだ。親切面をする奴も、大人が俺達を子供扱いして、馬鹿にするのと同じさ。」
 ヴァンは砂と共に唇を噛んだ。
「みんなその事は分かってる。・・・分かってるから、上っ面だけペコペコして、陰でコソコソ愚痴言って・・・最後はみんなアンタのせいにして、それで終わりだ。」
 ヴァンは呟いた。「悪いのはみんな裏切者のせい・・・」

「・・・一生懸命、戦っただけなのにな。」

 バッシュは何も言わなかった。
 ただ、吹き込む砂を避けるように目を細めただけだった。
 ヴァンは口に入った砂を唾と一緒に吐き出すと、心の中で苦笑いした。
 俺、何を一人でベラベラ喋ってるんだろう     .

「・・・君達には、本当につらい思いをさせた。」
 バッシュは言った。
「言われ無き汚名を背負わされたのは、私ではない。君達兄弟だ。」
「俺はいいよ!」
 弾かれたようにヴァンは言った。耳がカッと熱くなった。
「・・・やったのは帝国だ。あんたじゃない。」
 バッシュの目は一瞬何か言いたそうに見えたが、何も言わなかった。

 ヴァンは、顔を覆う布を引き上げた。
 外は相変わらず砂嵐が荒れ狂っていたが、ヴァンの胸の中は土砂降りの雨が降っているような心地がしていた。
 その雨は、暖かかった。

 自分の隣に、兄さんが裏切者じゃなかったと、知ってくれている人がいる。
 同じ市民から裏切者と罵倒される者の気持ちを、共に分かってくれる人がいる。
 それは、ついこの前まで、世界の誰より憎んできた男なのだ。
 そして、真に憎むべき帝国の将校と、血を分けた兄弟なのだ。

 彼の誠を証すものなど何もない。
 信じる自分は、アズラスの言うようにただの子供に過ぎないのだろうか。
 それとも、ただこの想いにしがみついて、楽になりたいだけなのだろうか。


「『帝国の犬』か・・・嫌な言葉だな。」
 そう言って、ヴァンはバッシュの方を向いて笑った。
「俺とバルフレアも言われたんだぜ。ナルビナの地下牢で。」
「君達が?」
「笑っちゃうよな。俺達のどこがスパイだっての!」
 真に受けたようなバッシュの顔を見て、ヴァンは余計に笑った。・・・本当に生真面目な人なんだと思う。
「乱暴なシーク達が、スパイ狩りとか言って、他の囚人を手当たり次第に痛めつけてたんだ。」
 そう言って、ヴァンは自慢げに拳を振って見せた。
     俺達がボッコボコにしてやったけどね!」
 その前にボコボコにされたのが自分だったことは、ヴァン自身も半分気持ちよく忘れていた。
「ざまあみろって。」
 自分の武勇伝を思い出してニヤけるヴァンに、
「確かに、ジャッジの中には他国に潜入して工作活動をする者もいる     
 バッシュの答えは、やはりどこまでも生真面目だった。
「2年前の戦乱の口火となったナブラディアの内乱も、きっかけはロザリア軍駐留を強行しようとしたオーダリア派の蜂起だが、実際に行動を起こしたのはオーダリア派内に潜入していた公安9局のジャッジだとも言われていた。」
「でも帝国は、ロザリアがやらせたって・・・」
「ロザリア帝国軍大本営が自国艦隊のナブラディア駐留を望んでいたのは事実だ。それを支持するオーダリア派と、同盟国とはいえ大国に飲まれることを望まぬナブラディア王家とが対立していたのも事実だ。・・・だが、突然の内乱勃発に対してアルケイディアの介入は余りにも素早く、そして圧倒的だった。」
 バッシュの声が苦く翳った。
「・・・しかし、仮に内戦勃発に帝国の工作があったとしても、オーダリア派ごとナブラディア王国は消滅してしまった。もはや何の証拠もない。」
「・・・なんか・・・難しいな。」
 ヴァンは居心地悪げに眉根を寄せた。戦争を巡る国同士の話は何度聞かされても難しい。それでも背中を伸ばして、ヴァンは言った。
「でも、分かる。・・・それが帝国のやり方なんだ。」
 アーシェ王女とラスラ王子の婚礼から僅か数日後に突然起こったナブラディアの内乱。時を置かず艦隊を派遣した東西の両大国。準備を整えていたとすればロザリア軍のはずだが、急遽派遣されたヴェイン・ソリドール率いるガルテア鎮定軍は、あっという間にロザリア艦隊を沈めて、王都ナブディスを包囲してしまった。そして・・・ナブディスは突然の大爆発と共に、一夜にして廃墟と化した。
      あの夜、ラバナスタ解放軍が王宮を襲撃した時と同じだ。
 帝国はいつも見えない所で準備万端整えておいて、相手に行動を起こさせて、一気に叩きのめすのだ。ヴェインの口がもっともらしい事を語る間に、見えない所で動いているのが、公安9局の、あのジャッジマスター。・・・バッシュの双子の弟。
 ヴァンはナルビナで見た黒鉄色の異形の甲冑と、その下のバッシュと瓜二つの男の顔を思い出していた。
 兄さんとバッシュが王様を助けに行ったあの時も、偽の将軍の蛮行にダルマスカは皆まんまと騙されてしまったのだ。
 でも、騙されたのも当然じゃないか     .

 ヴァンは溜息混じりに呟いた。
「あんたに双子の弟がいるなんて、誰も知らなかったもんな・・・」

 そして、自分の言葉に、ヴァンは思わず息を飲んだ。

      どうして、バッシュは弟のことを、17年間、誰にも話さなかったんだろう。

 もし、バッシュが自分に双子の弟がいるとを周りに話していたら、あのカラクリは成功しただろうか。
 弟の事を知っていれば、誰かが替え玉の可能性に気付いただろうか。
 そもそも、そんなカラクリを帝国は仕組んだだろうか。

「どうして・・・家族のことを、誰にも話さなかったんだ?」
 ヴァンはポツリと、傍らの男に尋ねた。
 バッシュは、それには答えず、砂に汚れた睫毛の下で僅かに目を伏せた。
 二人の間に不安な沈黙が降りた。
 その沈黙に応えるように、砂嵐の鈍い唸りが一際大きくなった。
 やがて、
「19年前・・・私達が今の君とちょうど同じ齢のことだ     
 バッシュはゆっくりと口を開いた。



「私達の故国ランディス共和国は、アルケイディア帝国の侵攻を受けて、全土が戦場と化していた。」
 その静かな瞳に微かに炎のような光が揺れた。そこに映るのは、戦火に燃え落ちる故郷の街並みだろうか。
「もはや状況は絶望的だったが、政府は国民に向かって最後まで祖国のために抵抗することを呼びかけ、人々はそれに応えた。市街地まで戦場となり、率いる者も定かでない混乱の中で、それでも誰もが必死に戦い続けていた。・・・だが、私達が血に染まった剣を振るい続けていた、その同じ時、共和国政府は帝都アルケイディスで、ランディスのアルケイディア帝国への併合に同意していた     
 静謐なバッシュの声が僅かに昂ぶった。それとも、砂嵐の唸りが低くなっただけだろうか。
「・・・彼らはそのまま帝国新民の座を手に入れ、ランディスに戻る事はなかった。共和国政府は、自らの保身と引き替えに、我々と祖国を、まるで家畜を売るように帝国に売り飛ばしたのだ。」

 風が巻いて、砂が二人の顔に激しく吹き付けた。
 二人は顔の布を抑えて目を伏せた。それでも布の間からも砂が入り込んで、ヴァンは酷くむせた。
 風が少し収まると、バッシュは再び話を続けた。
「・・・私には、それを潔しとして剣を置くことが出来なかった。だが、もはや人々を束ねる組織も展望もなく、その地に留まって当てのない抵抗を続ける気にもなれなかった。・・・私は別の道を探して、故国を離れた。」
「・・・どうして、弟はあんたと一緒に来なかったんだ?」
 ヴァンの問いに、バッシュはすぐには答えなかった。
 薄暗い洞の中で僅かに輝く彼の目は、これまでヴァンが見たことがない暗い光を湛えていた。
 そして、言った。
「・・・私達には病身の母がいた。家族を置いてはどこへも行けないと、弟は言った。」

     それでも私は、ランディスを出た。」

 ヴァンは、急にバッシュの声が厭わしくなった。
 その人の、静かな深い声は、僅かな動揺すら感じさせはしなかった。
 だからこそ、その人が話し始めた一言一言が、ヴァンの耳に苦い余韻を響かせた。
「私は降伏を拒んで、一人、滅び行く祖国を離れ、弟は病の母を抱えて、敵国に飲まれる故郷に残された。」
 ヴァンは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
 目を閉じると、虚ろな兄の顔と薬の臭いが一瞬蘇った。
「その後、二人は帝都アルケイディスに移り、まもなく母は亡くなった。・・・ずっと後になって、人伝てに聞いたことだ。その後の彼がどうやって生きてきたのか、私は知らなかった。・・・知ろうとさえしなかった。」

 どうしてこの人は、そんなに落ち着いた声で話せるんだろう。
 どうして、家族を置いていくことが     .

「どうして・・・二人はアルケイディスに?」
 俯いたまま、ヴァンは絞り出すように言った。喉がカラカラで、舌が強ばっていた。
「・・・ずっと戦ってきた敵国だろ?」
 バッシュは変わらぬ静かな声で答えた。
「アルケイディアは母の故郷なのだ。」
 ヴァンは思わずバッシュの顔を見た。「・・・え?」
 バッシュの静かな目は、やはり真っ直ぐにヴァンの目を見つめていた。
「私達の母はアルケイディア人だ。」
 バッシュは言った。
     私には、半分アルケイディアの血が流れている。」

「なんだよ、それ・・・」
 ヴァンは嗄れた声で呟いた。



 いつの間にか、砂嵐は去っていた。
 再び晴れ渡った砂漠の空に、ウルフ達の遠吠えが響き始めた。
 バッシュはゆっくりと立ち上がった。
 広い背中から、細かな砂がさらさらとこぼれ落ちた。
 その背中が言った。
「『バッシュ・フォン・ローゼンバーグは、己の復讐心のためにダルマスカを裏切った男』     その通りだ。」

「19年前、私は己の誇りと憎しみのために家族と祖国を捨てた。・・・私は、そのことからずっと逃げ続けてきたのだ。」

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